読込中

海山念法寺

海山念法寺
海山念法寺
〒519-3406
三重県北牟婁郡紀北町海山区相賀480-12
電話番号:0597-32-0398

美しい海と山に恵まれた紀北町海山

お寺からすぐの場所にある、熊野古道・伊勢路ルートの馬越峠・入り口
お寺からすぐの場所にある、熊野古道・伊勢路ルートの馬越峠・入り口

海山念法寺のある三重県・紀北町は、2005年に海山町と紀伊長島町が合併してできた新しい町です。大台山系から連なる急峻な山々と熊野灘特有のリアス式海岸に囲まれた、見事な大自然を有しています。また、『世界遺産・熊野古道』の伊勢路ルートが紀北町内を通っており、その内の「馬越峠」の入り口はお寺のすぐ近くにあります。

ご親教に、27回も海山へ訪れられた親先生

昭和35年12月、引本念法教会前の港に立つ親先生(当時親先生75歳)
昭和35年12月、引本念法教会前の港に立つ親先生(当時親先生75歳)

海山念法寺の歴史は、地元で暮らしていた谷口清松氏が、一向に快復しない病から開祖親先生に救っていただいたのを機に、この地に念法の教えを広めようと、昭和28年に引本念法布教所が開設されたのがはじまりです。そして数日後には、親先生がはじめて海山の地に足を運ばれ、ご親教されました。親先生、68歳でした。

JR紀勢本線・相賀駅のホームにて。親先生をお見送りをする信徒たち
JR紀勢本線・相賀駅のホームにて。親先生をお見送りをする信徒たち

昭和32年には引本念法教会に昇格、そして昭和39年には海山町相賀に念願の新道場が建設され、名称も海山念法教会に改められました。親先生の海山へのご親教は27回にも及び、ご親教ごとに信徒が増え続けたことから、いつしか相賀の道場が手狭になり、二代燈主様のご指導によって現在の地に海山念法寺が建立されました。昭和63年6月5日には、三重県をはじめ近隣からも多くの信徒が集まり、盛大に新精舎落慶法要が奉修されました。

親先生の思い出が、今なお語り継がれる

昭和53年、尾鷲での初親教に訪れられた親先生
昭和53年、尾鷲での初親教に訪れられた親先生

幾度となく海山に訪れられた親先生ですが、中でも特に深く印象に残っているのが、尾鷲市への初親教です。昭和53年3月10日、尾鷲市のグランドホテル『尾鷲サンポート』で行われたご親教は、3日間で6,000人以上の信徒が集まり、普段は静かな尾鷲の街が多くの人で賑わいました。ご親教会場となった『尾鷲サンポート』では、あまりの人の往来で自動ドアが壊れてしまったという逸話があるほどです。これらのご親教の準備や運営は海山念法寺の信徒たちが中心となって務め上げ、無事に実施できたことは、今も信徒にとって忘れ得ぬ喜びとして記憶に刻まれています。

子宝に恵まれた若妻の皆さんと親先生
子宝に恵まれた若妻の皆さんと親先生

また、昭和49年5月、親先生22回目のご親教の際に、親先生をお迎えして5人の若妻がご挨拶を申し上げました。実はこの5人、子どもを授かりたいと、願いながらも子宝に恵まれませんでした。ご挨拶の時に親先生がこの5人に一人ひとり握手をされ、労をねぎらわれたのですが、するとその後まもなく、若妻たちは揃いも揃って子宝に恵まれたのです。このように、親先生が生き仏様と慕われ、拝まれることの理由(わけ)を海山の信徒たちはたくさん経験し、今なお語り継がれています。