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病気で気付いた思いやりの心

I・Y(66歳 女性 福岡県)

息切れや手足のむくみが続いて

3年前の9月、私は心筋梗塞を患い入院しました。その2ヶ月ほど前から、坂道や階段を上り下りすると息切れや咳をしていましたが、次第に食欲が失せ、手足がむくんできました。症状がひどくなるにつれ、夜寝ていると咳が続いたり、息苦しさで寝付けなかったりする日が続きました。食欲不振なので「夏バテかな」と思っていましたが、体はさらにむくみ、体重も増えて、まわりの人は「様子がおかしいよ」と心配してくれました。

病院に行くと、お医者さんは「2〜3日薬を飲んで様子を見ましょう」とおっしゃいましたが、帰ろうとする私を呼び止めて「念のため、レントゲンを撮っておきましょう」と言われました。撮影後、診察室に呼ばれると、お医者さんは写真を見ながら険しい表情で「ここでは詳しい検査ができないので循環器内科がある病院を紹介します。すぐ救急外来に行ってください」とおっしゃったのです。

心筋梗塞と診断され、即入院

その日、お寺の当番が入っていたので「2〜3日後ではいけませんか」と尋ねると、「ダメです。すぐに行ってください」と言われたので、紹介された病院へと自転車で急ぎました。

病院に着くと、救急の患者が少なかったため、すぐに専門の先生が診てくださいました。救急外来の診察時間は過ぎていましたが、先生は待っていてくださったのです。そして、エコー検査の後、先生は「心筋梗塞です。入院しましょう」と告げられました。息切れや咳は、心臓の機能が低下していたためでした。

私が「支度があるので家に帰らせてください」と言うと、先生は「命にかかわります。危険です」と強い口調で言われました。大病を患ったことがなかった私は、その口調に驚き、病気の深刻さに気付きました。

仏様のおかげで検査も楽に

入院後、カテーテル検査を受けた結果、集中治療室で投薬治療を受けることになりました。そして、心臓や肺に溜まった水分でむくんでいた体が次第に元の体形に戻り、1週間後には体重が7キロも減りました。

集中治療室から一般病棟に移ると、同部屋の患者さんが「カテーテル検査は痛くてつらかった」と言ってるのを聞きましたが、私は全く痛みを感じませんでした。きっと仏様が楽に通らせてくださったのです。

治療は順調で、2週間ほどで退院することができました。退院の際には、担当の先生から「入院した時は、心臓の数値が普通の人の20倍近くありました。一応、退院はできますが、再入院の可能性があるので、まだまだ安心はできませんよ」と言われました。

悪い運命を切り替えてくださった

数日後、お寺の護摩供に参拝し、多くの人の幸せを祈るとともに、1日も早く体調が回復するようにと一心に祈らせていただきました。まわりの方は私を見て「大丈夫?」と気遣ってくださり、ありがたく感じました。

その2日後は病院での検診日でした。検査の結果、異常があった心臓の数値が、平常値に近いところまで下がっていてビックリしましたが、病院の先生も驚かれていました。仏様が働いてくださっているのだと改めて確信し、念法のお護摩はすばらしいと感じました。そして1ヶ月後には平常値に戻り、病院の先生は「ありえない。不思議ですね」とおっしゃったのです。

よくよく考えると、父は狭心症で、母は心筋梗塞で亡くなっていて、私は心臓病を患う運命を持っていたのでしょう。その悪い運命を仏様が切り替えてくださったのだと感じて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

思いやりの心が欠けていた私

病気を機に、相手の立場に立って物事を考えていなかったことに気付き、反省しました。というのも、高齢でもない人が階段を上り下りして息切れする姿を見て、「若いうちからそんなことではダメよ」と言っていたからです。本当は体調が悪い、もしくは疲れが溜まっているなど、何か事情があったはずです。自分自身が階段の上り下りで苦労するようになって初めて、何気ない一言で相手を傷つけていたことに気付いたのです。

思いやりの心が欠けていたのです。

それまで、お寺の住職先生からも「口調が強いから気を付けてお話した方がいいですよ」とご指導をたびたびいただいていたにもかかわらず、欠陥を自覚せずにいました。自覚していないのですから、改良実践に至るはずもありません。それが、病気をしたおかげで自分の欠陥を自覚することができたのです。これからは、仏様にお願いしながら、思いやりの心を持って人と接することを心掛けていきます。