金剛寺百景
金剛寺百景
その1〜「誓願歌」碑
「君がため 国のためにと 法(のり)とかむ かりし衣の 朽ちはつるとも」と書かれたこの歌は、開祖親先生が教えを弘(ひろ)めるにあたり、そのお志を詠まれたものです。「この身が朽ち果てても、ただひたすら多くの人々に神仏の教えを説き続けよう」という、親先生の布教への熱い思いが伝わってきます。
その2〜鎧(よろい)岩
甲冑(かっちゅう)の鎧のように見える岩は、その名も「鎧岩」と呼ばれ、伊勢から本山に献納されました。源平の戦いに敗れた平家は、激しい追討から逃れるため、大切な鎧兜を地に埋めて落人(おちうど)になったそうです。鎧に込められた兵たちの魂は、長い年月のうちに岩と化し、800年前の悲しい物語を今に伝えていると言われています。見る人々に争いの無常を訴え、仲よい世の中の大切さを説いてくれているのでしょう。
その3〜極楽橋(柳の教え)
拝殿前へつづくこの橋は、「極楽橋」といいます。その両側に植えられた「しだれ柳」が風に吹かれ、ゆれ動いているのを見て親先生は、「世の中を 楽しく暮らせ わしのように」と詠まれました。「風に逆らわない柳のように、自我や周囲のものごとに囚われることなく素直に生きることで、極楽浄土は生まれるのである」と親先生は私たちに教えてくださっています。
その4〜不動岩
この岩は、本山造成期に兵庫県氷上郡から運ばれてきたものです。重さが10トン以上あるといわれ、どれだけ動かそうとしても動かないということで有名でした。その岩が本山に来ることに決まった途端、簡単に動いたというのです。それを車で運んできて、いざ据え付ける段になったときにも再び動かなくなり車から降ろせずにいたところ、親先生が気合いをかけられると、そのお声と同時にドスンとこの場所に座ったのです。また、親先生がこの岩に不動真言を霊視されたことから、この呼び名が付いたと言われています。
その5〜恵比寿石/大黒石
その6〜灯篭
念法眞教立教50年祭に札幌から本山へ献納されたもので、高さ6.5m、重さ15トンの日高石でできています。「如何なる風雪にも耐えて消えない一灯」のごとく、人々への念法の法灯が不滅であることを願って、北海道の銘石で造られたものです。
その7〜霊木
祈願本堂の入り口には霊木が祀られています。向かって左から「えのき(兵庫県野間谷)」、真ん中は「くすのき(兵庫県淡路島)」、右側は「かや(岐阜県可児市)」で、どの霊木も地元では人々に障(さわ)りをもたらしてきた木であったそうです。ところが、本山の聖地に祀られてからは霊験あらたかな木となり、参拝者の信仰を集めています。眩しく輝く「金の玉」は太陽をかたどった霊玉で、浄土の明るい空を表しているんですよ。不思議なことに、この霊木に触れた手で体の悪いところに触れると、痛みや患いが楽になると言われています。