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旅からすの歌

こんにちは!こころです。この頃、「ほの灯り金剛寺」や「花びより金剛寺」などの催しを楽しみに本山へ足を運ぶことが多くなりました。来るたびに、さまざまなステージでの演奏や、境内の美しさ、それになんと言っても信徒さんのご奉仕によるおもてなしの温かさや細やかさに感動してしまいます。
そこで私、ひとつ気が付いたことがあるんです。会場の案内や、模擬店でおいしい食べ物を振舞っていらっしゃるご奉仕の方々って、皆さんおそろいの法被(はっぴ)や浴衣を着てらっしゃいますよね。遊びに来た私たちでもすぐに念法の方だってわかって、とてもいいユニフォームにも見えます。念法のマークや何か文字が書かれていて、よ~く見ると、ところどころに鳥の絵のようなのも付いてるみたい。これは、何か念法の歴史や教えと関係のあるものなのかしら?
なかなかよく見ておるのぉ、こころちゃん。実は、念法には長く受け継がれておる「旅からすの歌」というお神楽歌があるのじゃ。皆が着ておるのはその歌を歌ったり踊りをするときに着る法被や浴衣なんじゃよ。
それで、からすの絵が描かれているんですね。ところで、「旅からすの歌」って一体どんな歌なんですか?
こころちゃんは、親先生こと開祖 小倉霊現がかつて全国各地を巡ってご親教をされていたことを知っておるの?昭和20年8月15日の終戦翌年、親先生は日本再建の巡教の旅を始められたのじゃ。これがご親教の始まりというわけじゃ。そして、戦後の暗く貧しい日本に、愛国心と和合のもと、明るく楽しい極楽を建設しようと、当時巡教されていた三重県志摩郡のご親教先で、「旅からすの歌」を感得され、国民の団結と日本の復興を願ったのじゃ。
なるほど。「旅からすの歌」の歴史は、ここから始まったんですね。

伊勢神宮神勅奉答参拝(いせじんぐうしんちょくほうとうさんぱい)

「旅からすの歌」ができたとき、親先生はある夢を見たそうじゃ。その夢には、猿田彦命(さるたひこのみこと)が伊勢神宮の内宮である天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の使者として現れ、あるお告げを授かったという。なんでも、天照皇大神は、わが国を大事に思う親先生のお考えに深く信頼を寄せられ、この歌を歌い、舞を舞いながら日本全国を巡教して国民の和合団結を訴え、日本の復興に努めるように……ということじゃったそうな。
猿田彦命は私も知ってます。日本の神話に出てくる神様ですよね。学校の課題で調べたことがあるのですが、確か天狗のモデルになった神様ですよね?
その通り。こころちゃんは勉強熱心じゃのう。天照皇大神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内をしたことから、旅人の神様として祀られているんじゃよ。
わぁ、日本全国を巡教するようにだなんて、「旅人の神様」からのお告げなら心強いですね。私も知ってる神様が、こんな形で念法さんと関わりがあったなんてびっくりしました!
当時の奉答参拝の様子
うむ。親先生も、最初はその夢をすぐには信じられんかったそうじゃが、「旅からすの歌」を歌うことで、不漁つづきの船が大漁で港へ戻ってきたり、たくさんの病人がたちまちによくなっていくのを見て、これは大切なお告げに違いないと確信なさったということじゃ。そして、昭和26年9月4日、親先生は伊勢神宮に全国の念法信徒の代表者約1,000名を率いて、お告げに謹んでお応えし、この歌に節と舞いをつけて奉答参拝をされたのじゃ。法被と浴衣はそのときに着ていたものというわけじゃ。また偶然この日、サンフランシスコ講和条約が締結されたのじゃが、親先生はこの5ヶ月も前の4月20日に奉答参拝を行う発表をしていたのじゃ。
不思議ですね、先に起こることがわかっていらっしゃったのかしら。ところで、今ではもうその奉答参拝は行われていないんですか?
いやいや、平成17年の伊勢念法寺が新しく建て直されたの機に「旅からすの歌」の歌碑が境内に建てられ、奉答参拝は毎年12月に行われるようになったんじゃよ。こうした取り組みからも、伊勢神宮と念法眞教とは関わりが深く長いお付き合いをさせていただいておる。また、地元信徒の青年たちが、「旅からすの歌」について学ぶことで、同時に伊勢神宮のことも学ぶきっかけになり、地域への貢献心を育むことにもつながっておるようじゃ。
当時の奉答参拝の様子
へぇ~。何気なく目にしていたあの法被や浴衣にそんな深い歴史があったなんて!しかも、今でも信徒の皆さんが身に着けて、その頃の親先生の思いをそのまま引継いでいるんですね。私も、今の豊かさや平和を当たり前と思わずに、復興に励んできた人たちのお陰だということを忘れずにいたいと思います。