広島原爆殉難者慰霊法要
昭和62年の広島念法寺建立の際、広島平和記念公園にて原爆殉難者への慰霊法要が勤められたのを機に、翌年から毎年7月の第4日曜日に行われてきた広島原爆殉難者慰霊法要。今ではすっかり念法眞教恒例の行事のひとつとして定着し、今年で22回目となります。
私は今、慰霊法要の会場である広島平和記念公園へ来ています。そろそろ、参拝者の皆様が到着されたようです。公園のほぼ中央にある「原爆慰霊碑」の前で皆様列をつくって参拝されています……と思ったら、参拝された方から順に、どこかへ移動していかれます。あれれ、慰霊法要はここで行われるんじゃないのかな?私も遅れないように後ろをついて行くと……あっ、祭壇が見えてきました。ここが会場なんですね。
ここは「原爆供養塔」です。この土盛の下には、数万人の身元不明の遺骨が納められています。爆心地だったこの付近一帯からは、被爆後、無数の遺体が運びこまれここで火葬されました。昭和21年、市民の寄付により仮供養塔、仮納骨堂・礼拝堂が建設され、その10年後の昭和30年には、広島市が中心となり納骨堂を改築し、各所に散在していた引取り手の無い遺骨もここに納められたのです。この慰霊法要では、そんな犠牲者の命の上に今の私たちがあることを思い、今一度、平和な未来へ繋がる生き方を心に誓うのです。
祭壇前には、被爆者のご遺族や地元の方を中心に、お年寄りから小学生くらいのお子さんまで500名ほどがご参拝に集まりました。大人代表と子供代表の方が、それぞれに平和の祈りを捧げられます。祈りのメッセージには「ありがとう」や「ご恩返し」といった、犠牲者の方への「感謝」の気持ちが込められているのが印象的でした。祭壇近くに、お水の入った透明の筒がたくさん並んでいますね。そのお水を一つずつ丁寧にお供えしてらっしゃいます。あ、筒には何か書かれていますね……
あれは、「銘水供養」といって、全国81箇所の支院の皆様が、お供養の気持ちを込めて送ってくださった各地の銘水を献水(けんすい)しているんです。筒には、その銘水の名が書かれているんですよ。被爆者の方々が、水を求めてさまよい、苦しみながら亡くなっていったことを察し、行われる儀式なのです。
なるほどぉ。きちんと意味があるのですね。それにしても、本当に色々なところから集められてきているんですね。北海道から沖縄までその数は50種類にもなるんだとか!
はい。献水は北から南の地域へ順に行われるのですが、1番始めは、同じ被爆地である長崎県の「浦上川元水岩屋山の水」から始まり、最後は、多くの被爆者が水を求めて飛び込んだと言われる地元広島の「大田川の水」で終わるんですよ。念法眞教では長崎でも同様に毎年7月初旬に原爆殉難者慰霊法要を行っています。
献水が終わると、各地域からの千羽鶴の奉納や、ご遺族や代表の方々の献華(けんか)が次々に行われ、祭壇の周りは、あっという間にお花や千羽鶴で埋め尽くされました。
最後は、参拝者の皆様でお経を上げ、犠牲者の御霊を慰霊すると共に、この平和な瞬間(とき)に感謝を深めて、慰霊法要は厳かに締めくくられます。
戦争の悲惨さは、私も学校で色々と勉強してきたつもりだけど、今の平和で幸せな毎日を犠牲者の方々に「感謝」することって、ついつい忘れがちだなぁ。私も、今年の終戦記念日は、いつもと違った「感謝」の気持ちを持って迎えてみたいと思います。
「平和の祈りを、今受け継ぐ」~慰霊の夕べ(前夜祭)~
平和記念公園で慰霊法要の行われる前夜、広島念法寺では、青年会のメンバーを中心に「慰霊の夕べ」と題した前夜祭が行われました。戦争による傷跡と、現代に生きる私達が忘れてはいけないこと――それらを少しでも多くの方へ届くようにと、青年会の方々がご自身で様々な取材をして開催された催しです
メッセージ~愛の言葉を語り継ぐ~
当時の経験を交え、今に生きる私たちに平和と命の大切さを語り継いでこられた、語り部(かたりべ)の沼田玲子さんからのビデオレターが放映されま した。「人を憎むのではなく、戦争を憎むのです。やられてやり返すのではなく、まず、人の痛みの分かる人間になって欲しい。人の痛みが分かれば、争いなんて起きないのだから。」と語られたメッセージは、参加者の心に深く響きました。
献灯式
仏様の祀(まつ)られた祭壇から頂いた灯火(ともしび)は、まず、戦争経験者の方へ、次に、戦争を知らずに生まれた方へと灯し移されていきました。平和の祈りを絶やすことなく受け継いでいこうという気持ちを込めて……
インタビュー
「私もここにいる皆さんと同じ2世なんですよ。」と、気さくに答えてくださった中尾さん。この慰霊法要は、半年という期間をかけて、被爆者のご遺族や地元広島などの大勢の方々によって下準備から設営までの全てが行われています。そんな奉仕スタッフの一人である中尾さんに、お話を伺いました。
広島念法寺:中尾さん
2008年度広島原爆殉難者慰霊法要事務局・副代表
「私は、父が被爆しているんです。私のように、家族に原爆の被害者をお持ちの方は、やはり他人事ではありませんから、一人でも多くの人に平和の 大切さを知っていただけたらなと、強く思うんです。原爆は、広島と長崎に落とされたからといって、決してその地元の人間だけの問題ではないんですよ。また、悲劇は原爆だけではありません。原爆が落とされるまでに各地で空襲にあった方も、またその他の戦争に巻き込まれた方々も、全てをひっくるめて悲劇なんです。これまでの歴史に刻まれてきた全ての悲劇の上に、今の私たちが成り立っていることを忘れないで欲しいと願います。」