仏様に救われ、幸せな日々
A・T(37歳 女性 北海道) |
幼い頃から不安定だった私の心
複雑な家庭環境で育った私は、幼い頃から精神的に不安定でした。躁鬱病とパニック障害、対人恐怖症が合わさったような症状でしたが、病気だと気付かずに過ごしていました。
私が12歳の時、母が念法さんに導かれ、入信しました。おかげで家庭の問題は徐々に解決していきました。私は母に連れられてお参りすることもありましたが、心は不安定なままでした。
その後、高校を卒業して社会人になってから、別の件で病院に行った時、心の病気だということが初めてわかり、薬を服用し始めました。
そのときに診断された病名は覚えていません。
心の病が悪化して離婚
そんな私でしたが、平成15年、25歳の時に、ご縁があって結婚しました。
ところが、主人との仲がうまくいかなくなり、心の病が悪化して廃人のようになって、平成19年に離婚しました。
派手なメイクをしたり、サングラスや帽子を身に着けないと人前に出られませんでした。思っていることとは違うことを言ってしまうことがあり、自分が何をしていたのか記憶にないこともたびたびありました。
両手の指では足りないくらいの数の精神安定剤を一度に服用しており、医師からは「もう普通の生活はできない」と言われていました。
「助けてほしい」という気持ちはありましたが、お寺には行きたくありませんでした。なぜか、お寺に行くことが怖かったのです。
主人の厳しい言葉で薬をやめられた
離婚から数ヶ月経った平成19年10月、数年前に一度会ったことがある男性と再会しました。その人が今の主人です。
主人は、薬に依存している私に同情したり、慰めたりするのではなく、厳しい言葉で諭してくれました。私の勝ち気な性格を分かっていて、あえてそうしてくれたのでしょう。
母から何度言われても、薬の服用をやめることができませんでしたが、主人に厳しく言われたことで、服用していた薬をすべてやめることができました。
薬をやめると、まず味覚がなくなりました。やがて、起きているのか寝ているのかわからなくなり、体の感覚がすべてなくなったような、うつろな状態が1年ほど続きました。
それから少しずつ感覚が戻り始め、ようやく普通の生活ができるようになった、と思い始めた頃、主人と「子どもがほしいね」と話すようになりました。
安心感に満たされて男の子を出産
私には、子どもの話をすること自体が夢のようでした。精神安定剤を服用していたときは、「障害を持った子が生まれる可能性があるから、妊娠してはいけません」と医師から言われ、子どもを授かることを諦めていたからです。
それからまもなく、妊娠していることが分かりました。「仏様が授けてくださったんだ」と思い、天にも昇る心地がしました。主人もとても喜んでくれました。
そして、「お寺に行きたい」と思い、自分から進んでお参りするようになりました。
お寺では、教わったことをその通りにさせていただき、10日連続で回向を申し込んで参拝させていただく「十日参り」も続けました。
すると、心が安心感で満たされ、仏様に守られていると実感するようになりました。主人もお寺に行くことに反対せず、見守ってくれました。
安産祈願も申し込み、すべてが穏やかで幸せな日々の中、平成21年に男の子を出産しました。医師や助産婦さんに「こんな穏やかな出産は初めて」と言われるほどの安産でした。
「普通の生活」がありがたい
私はお寺で教わった通り、挨拶や、主人との握手の実践をさせてもらい、ものを無駄にしないことを心がけています。
お寺には月に2、3回ほど参拝しますが、行事などのお手伝いがある時は毎日でも参拝します。
子育ては何の不安もなく穏やかです。息子はお寺が大好きで、子供会には必ず参加し、友だちもたくさんできました。お寺の方からも本当の孫のように可愛がっていただいています。
振り返ると、仏様が今の主人と巡り会わせてくださったのだと思います。おかげで、私は救われました。そうでなければ、私はもうこの世にいなかったかもしれません。
心の病で苦しんでいた時には、こんな幸せな日々が訪れるとは思ってもみませんでした。今、普通の生活を送れることが、本当にありがたいと感じています。
立教祭への参拝で何かが変わった
最近、息子が幼稚園の友だちとの仲がうまくいかず、情緒不安定になり悩んでいました。そんな時、本山での立教祭に誘われ、「何か変わるかもしれない」と思い、参拝を決めました。
立教祭では、ご燈主様が目の前を通られた時、膝の上で何かが動くような温かいパワーのようなものを感じ、「ありがたいって、こういうことかな」と実感しました。
とても素晴らしい立教祭で、息子のことも「通らなければならない道なのだ。持っている運命を、小学校に入る前に出していただいて良かった」と思うことができました。
立教祭が終わって北海道に帰り、実家に預けていた息子を迎えに行くと、両親から留守中の出来事を聞かされました。
離婚した男性のご両親が実家に来られ、8年ぶりに再会して話をしたというのです。
もっと幸せになることが恩返し
そのご両親は当時、私にとても優しく接してくれていました。私の両親とも仲が良く、親同士で連絡を取り合って野球を見に行ったり、食事に行ったりしていました。
そのため私は、ありがたいという気持ちと同時に、離婚という結果になってしまったことを申し訳なく感じ、ずっと気になっていたのです。
そのご両親に、私が今幸せに暮らしていることを知ってもらい、息子にも会ってもらえて、私はホッとしました。
私が幸せでいることがご恩返しなのだと思えて、「もう気にする必要はない。今の家族ともっと幸せになろう」という気持ちになりました。
その当時は辛かったのですが、今は「あの苦労が、この子を育てるために必要だったんだ」と思えるようになり、感謝できるようになりました。
長年あった心のわだかまりを取り除けたのは、立教祭に参加させていただいたおかげ、仏様のおかげです。本当にありがとうございました。