ご生誕130年祭/洋上慰霊祭
ご生誕130年祭
平成27年(2015年)9月9日
こんにちは、こころです!今日9月9日は親先生のお誕生日。本山では「ご生誕130年祭」が行われると聞いて、やってきました!
やあ、こころちゃん。今日は開祖親先生の、ちょうど130回目のお誕生日なんじゃ。明治19年9月9日、「9(苦)」が3つ重なった日にお生まれになった親先生は、「わしは世の中のすべての人の苦を背負うているのや」とおっしゃって、私たちの苦を肩代わりしてくださった。親先生がこの世にお生まれになったからこそ、たくさんの信徒が救われ、現在の幸せな暮らしがあるのじゃから、9月9日という日は本当に嬉しく、ありがたい日なんじゃよ。さて、そろそろ始まりますぞ。
隅から隅までたくさんの信徒さんでいっぱいになった法堂で、法要が始まりました。あっ、前の方には白い着物姿の皆さんが大勢座っていますよ。
報恩法要には、全国から募った信徒代表も出仕しておるのじゃ。白い着物は白衣といって、身も心も清らかであることを表すために着ておるんじゃよ。さて、法要に続いては、誓願歌の奉唱じゃ。「君がため 国のためにと 法(のり)とかむ かりし衣(ころも)の 朽ちはつるとも」と親先生がお詠みになった誓願歌。「法とかむ」とは「仏様の教えを説こう」という意味であり、「かりし衣」は「仏様にお借りした肉体」を指しておる。つまり誓願歌には、「たとえ命が尽きても、仏様の教えを説き続けるぞ」という、親先生の固いご決意が込められているのじゃ。「全国の信徒と一緒に誓願歌を奉唱して、多くの皆さんに親先生のお心をしっかり受け取っていただきたい」というご燈主様のお言葉を受け、「ご生誕130年祭」は全国支院にインターネット中継されているから、日本中の信徒が誓願歌を奉唱しておることじゃろう。
あれ?信徒代表の皆さんが、誓願歌に合わせて鈴や鉦(かね)を鳴らしていますね。
あれは「鈴鉦(れいしょう)」というんじゃよ。誓願歌に合わせて、鈴は左手に持って振り鳴らし、膝の前に置いた鉦は右手に持った撞木(しゅもく)で打ち鳴らすのじゃ。
たくさんの方々の声と鈴鉦の音が一つになって、堂内を包み込むように響き渡っています。誓願歌に込められた親先生のお心は、会場の皆さんはもちろん、インターネットを通じて参加した全国の信徒さんたちにも、しっかりと届いていることでしょう。
さて、次は親先生へのお誕生日プレゼントじゃ。花束などの品々を献上して、ご燈主様がご生誕130年のお祝いの言葉を述べておられる。
ご燈主様はすごく楽しそうにお話されていますね。どんなことを話されているのかなぁ。
続いて、ご燈主様から「親先生、二代燈主様に喜んでいただけるよう、90年祭を笑顔で喜びいっぱいに勤めましょう」とお言葉があり、桶屋教務総長も「90年祭が始まって半年。来年の結願まで、精進できる期間がまだ半年もある。なんてありがたいことでしょう」とあいさつされたのじゃ。
その後の祝賀行事では、御詠歌踊りの奉納や、親先生に長くお仕えした住職による思い出話が披露されたんじゃ。
親先生の思い出を語られる住職先生方は、とっても楽しそうで、笑顔が輝いています。それにしても、何十年も前の出来事を、まるで昨日あったことのように克明に覚えていらっしゃるのにはビックリです。親先生との一瞬一瞬がよほど強く心に刻まれているんですね。お話を聞いている信徒の皆さんも、まるで自分が親先生にお会いしているみたいに嬉しそうです!
最後は「親先生を讃える歌」を全員で手拍子をしながら合唱して、喜びにあふれた「ご生誕130年祭」は幕を閉じたのじゃ。
大東亜戦争終結70年洋上慰霊祭
平成27年(2015年)9月29日
こんにちは、こころです!今日は神戸港に来ています。これから船に乗って九州の南に向かい、海の上で慰霊祭を行うと聞いています。
やあ、こころちゃん。私たちが向かうのは鹿児島県坊ノ岬沖、戦艦「大和」が沈没した海域です。今も多くのご英霊の方々が眠るその場所で、先の大戦において海上で亡くなられたすべてのご英霊をお慰めし、感謝を捧げるために「大東亜戦争終結70年 洋上慰霊祭」を執り行うのです。往復3日間の航海には、洋上慰霊祭を主管する神道政治連盟大阪府本部の方々や、共催する大阪府神社庁と念法からの多数の参列者、戦艦大和の乗組員のご遺族、一般参加者など、約450人が参加しているんですよ。
戦艦大和の名前は聞いたことがあるけど、こんなに近い海に沈んでいるとは知りませんでした。
戦艦大和は、当時の最新技術を駆使して建造され、開戦直後の昭和16年12月16日に就役した、全長263メートル、基準排水量6500トンの史上最大の戦艦です。昭和20年4月7日、沖縄特攻作戦に向かって航行中だった戦艦大和は、米軍の猛攻撃を受けて坊ノ岬沖に沈没。乗組員3332名のうち3056名の方々が尊い命を散らされたのです。
そんなにたくさんの方々が亡くなられたなんて……。さぞご無念だったでしょうね……。
皆さん、純粋に国を守るために一身を捧げられたのです。目的地への航海中には、当時の日本人の思いをより深く学ぶために講演が行われ、ご英霊をお祀りする靖国神社の歴史や、特攻作戦に使用された特殊兵器、戦艦大和乗組員の遺書などについて、さまざまなお話をうかがいました。
ご英霊となられた方々の、日本を守るんだという強い思いや、家族への深い愛情を知って、胸がいっぱいになりました。
開祖親先生は常々「英霊を大事にするように。日本の復興や繁栄は、英霊の皆様の土台の上に築かれていることを忘れてはいけない」と諭されていました。私たちは、ご英霊の尊さ、ありがたさをしっかりと胸に刻み、ご英霊の方々が守ってくださった日本の国を、末永く受け継いでいかなくてはならないのです。
さて、船は目的地に到着しましたが、海が荒れて船が揺れ、風も強いため、当初予定していたデッキではなく、船内のホールで洋上慰霊祭が執り行われました。神道の祭員、念法の式衆が参進すると、まず神式の祭典を斉行。清めの儀式「修祓(しゅばつ)」、御霊を標柱にうつす「降霊の儀」、ご英霊に玉串をお供えする「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」などが、厳かに執り行われました。続いては、桶屋教務総長が導師を勤め、念法による慰霊法要を勤修。法要後の記念式典では、桶屋教務総長が「安住の地での供養と、戦場となった場所での供養は意味が異なります。洋上で亡くなられた皆様方を思うと、少々の揺れもありがたいと思います」とあいさつされました。
続いてデッキに出た皆さんが、汽笛の合図に合わせて一斉に海に向かって献花を行いました。
この海域に眠っておられる戦艦大和乗組員の方々をはじめ、この海とつながっているすべての海で亡くなられたご英霊の皆様に、追悼と感謝の思いを込めて花を捧げたのです。
今回、多くのご英霊が眠られている場所で慰霊祭に参加させていただき、日本を守るために戦われた方々の純粋で強い思いを、私なりに感じることができました。今の平和な世の中、幸せな暮らしは、ご英霊の方々のおかげだということを忘れることなく、日々感謝して生きていきたいと思います。