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サイパン戦没殉難者慰霊祭

サイパンの地図
サイパンの地図
は~い!こんにちは、こころです。私は今、日本を離れ、サイパンへ来ています。5月とはいえ、ここは真夏の気候。この時期は、島の至るところに花々が咲いていて、とってもきれいです。今回私は、サイパン戦没殉難者慰霊祭に参加しています。「サイパンの戦い」は、私も少しお勉強したのですが……。その頃サイパン島には、たくさんの日本人が住んでいたんですよね。
そうですね。その頃のサイパン島は、国際連盟が委託した日本の統治領として、多くの日本人が移り住み、島の産業の発展にも貢献していました。では少し、そこのところをお話ししておきましょう。太平洋戦争末期、アメリカ軍にとってサイパン島は日本本土への攻撃のために重要な島でした。日本は、国を守るためにサイパン島を死守しようと、日本軍とアメリカ軍との間で、民間人を巻き込んだ激しい戦闘が繰り広げられました。それが「サイパンの戦い」です。5万5千人という多くの日本人犠牲者を出した激戦の末、昭和19年7月7日、ついに日本軍は陥落し、サイパンはアメリカの占領地となります。その後、サイパン島は日本本土への攻撃を行う爆撃機B-29のための基地として使用され、日本は原爆の投下などに繋がる大きな空襲の被害にあったのです。
そうだったんですか。 島に住む日本人たちはその戦いで尊い命を失い、日本軍は国を守るため必死で戦ったんですね。 今は平和で穏やかなこの島で、そんな激しい戦争がおきていたなんて、考えられないなぁ……。

1日目~清掃ボランティア~

バンザイクリフの清掃
今日は、バンザイクリフとラストコマンドポスト一帯の清掃活動を行います。この炎天下の中、信徒の一行約200人をはじめ、地元ボランティア団体の皆さんと一緒に、明日の慰霊法要を前に、この場を浄(きよ)めるという気持ちを込めて清掃をするんです。こころちゃんもどうですか?
ラストコマンドポストの清掃
わぁ!私もお手伝いします。皆さん、お揃いの青いポロシャツに帽子で熱心に清掃されていますね。でも、そもそもこれらの場所にはどんな歴史があるのですか?
バンザイクリフ
バンザイクリフ
島北端のマッピ岬にある断崖「バンザイクリフ」では、先の大戦でサイパン島が陥落した後、島に住む多くの日本人がアメリカ軍の捕虜になることよりも自決を選び、「天皇陛下、万歳!」と叫びながらこの断崖から身を投げました。それで「バンザイクリフ」と名づけられたのです。この岬には、念法眞教も平成19年5月に慰霊塔を建てさせて頂きました。
スーサイドクリフ
スーサイドクリフ
そして、マッピ山の断崖下に位置するラストコマンドポストは、日本軍最後の司令部跡で、昭和49年に日本政府が「中部太平洋戦没者の碑」を建立しました。正面に高い断崖がみえるでしょう。あれはスーサイドクリフといって、バンザイクリフ同様、多くの軍人が集団自決した場所です。「スーサイド」とは「自決・自殺」という意味なんですよ。
そうなんですか……。真っ青な海と空がこんなにきれいなところなのに、 どちらも、とても悲しい傷跡をもった場所なんですね。
明日は、この2つの場所でも法要を行う予定です。私たちは、亡くなった方々の遺骨を拾うことはできませんが、せめてこの場所を浄(きよ)らかに保ち、慰霊供養を勤めさせて頂きたいと思います。

まめ知識

バンザイクリフに建つ念法眞教の慰霊塔の形は、「合掌」を表しているそうですが、どのような想いが込められているのですか?
戦没殉難者慰霊塔
戦没殉難者慰霊塔
この慰霊塔の形は、「祈り」を表しています。蓮の台座にのった中央の石柱には、教団の紋章と「戦没殉難者慰霊塔」の文字が刻まれ、上部には石の地球儀が据えられています。それらを包み込むような両脇の石板は合掌する手をイメージしてつくられ、合掌する手の甲の部分には、日本の国花「桜」の模様がデザインされています。この慰霊塔は、戦争の犠牲となった日本人やアメリカ人の方々への追悼はもとより、未来に向かって世界の恒久平和を願う想いを込めて、バンザイクリフに建てられました。

2日目~サイパン戦没殉難者慰霊法要~

サイパン戦没殉難者慰霊法要
サイパン戦没殉難者慰霊法要
サイパンは、今日もさわやかな快晴です。私は今、ラストコマンドポストに建つ「中部太平洋戦没者の碑」の前に来ています。いよいよ「サイパン戦没殉難者慰霊法要」が行われます。今回は、初めてご燈主様がサイパンでの慰霊法要に参加されるのですね。
サイパン戦没殉難者慰霊法要
サイパン戦没殉難者慰霊法要
はい。かねてから熱望されておられたのですが、今回初めて稲山燈主がサイパンでの慰霊法要に親臨されます。また慰霊法要には、融通念仏宗・倍厳良舜管長、北マリアナ連邦政府・ペリー観光局長はじめ、多くのご来賓の方々も出席されています。
桶屋教務総長が導師を勤められ、慰霊法要が始まりました。200人を超える参列者全員で黙祷を行い、続いて代表者の献花や千羽鶴の献納が行われ、参列者も次々と献花とお祈りしています。厳粛な空気の中で、読経がスーサイドクリフにこだまし、思いが一つに重なっていくみたい。最後に、ご燈主様が参列者の皆さんに感謝の意を込めてご挨拶をされました。
祈念植樹
祈念植樹
法要後には、碑の敷地内に、平和の願いを込めて、火炎樹(南洋ザクラ)とプルメリアの祈念植樹をさせて頂きました。この樹の成長を見守りながら、これからも、殉難者の方々への追悼と感謝の気持ちを忘れず、このサイパンでの慰霊法要を続けていきたいと思います。
献花
次に向かったのが、バンザイクリフ。教団の慰霊塔前で法要を行い、犠牲者の方が身を投げたとされる断崖から、80メートル下の海に向かって献花を行いました。はるか水平線を見渡せるこの広い海に、参列者の皆さんの祈りが深く染み渡るようです。私は、初めてサイパンを訪れましたが、やっぱり戦争が残すものは、悲しい爪跡だけだと痛感しています。そして、その悲しい犠牲の上に、日本の今の平和が存在しているんですよね。 きっとまたいつか、観光でこのサイパンに遊びにくることもあるかも知れないけど、 そのときも、今の気持ちのままでここに立てたらいいと思います。

インタビュー

新潟念法寺:佐藤久枝さん

私はサイパンで生まれました。当時の激しい戦争の中、現地で自転車屋を営んでいた父を残して2歳の私と母の2人で日本へ渡り、今日まで暮らしてきました。父は、昭和19年7月7日にこの地で命を落としました。父が眠っているサイパンに行きたいという気持ちは強く持っていましたが、慰霊法要をきっかけに訪れることができ、生まれた場所もこの目で確認できました。本当にありがたいことです。 本やテレビでご覧になることもあると思いますが、当時の人たちが必死に生き抜こうとしたこの島を、実際に目で見て、足で歩くことで、皆さんにも肌で感じて欲しいと思います。そして、平和な時代を守っていくために、戦争のことをよく知ることが大切です。慰霊法要には、今回で2度目の参加ですが、チャンスがあればまた来たいと思います。

富山念法寺:盛田治美さん

ご燈主様からサイパンのお話をお伺いしてからというもの、ぜひ現地の様子をこの目で確かめたいと思い、今回初めて参加させて頂きました。他の支院の方々も大勢参加されていて、慰霊法要を通して皆さんとの交流も深まりました。また、みんなで一斉に清掃するというボランティア活動にも参加させて頂くという素晴らしい経験もさせて頂きました。私は、戦争を体験していませんが、過去の悲惨な出来事を学び、そして忘れることなく、平和を祈る心を大切にしていきたいと思います。