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小倉宮教尊王様ご遠忌法要

小倉宮教尊王様ご遠忌法要

令和7年(2025年)4月24日、隠岐諸島・知夫里島(島根県隠岐郡知夫村)の松尾山松養寺にて「小倉宮教尊王様ご遠忌法要」を奉修しました。

南北朝時代、北朝の違約により皇位につく望みを絶たれた南朝の小倉宮泰仁王様。その王子である小倉宮教尊王様は、京都山科の勧修寺に入られ、長吏(管長)となられましたが、嘉吉3年(1443年)の京都御所での襲撃事件に関わったとして、隠岐・知夫里島へ遠流となられ、8年後に33歳で薨去されました。

近年、「念法開祖親先生は、教尊王様の末裔である」と郷土史家の河野誠氏が指摘されたことから、教団が墓前の玉垣と階段を修復して、昭和51年(1976年)から毎年ご遠忌法要を奉修。教尊王様と親先生の関係や、ご遠忌法要の様子は、知夫村の村誌にも詳しく記載されています。

立教100年大祭の今年は、ご燈主様がご導師を勤められ、京都に向かって建てられた室町時代形式の宝篋印塔(ほうきょういんとう)前でご遠忌法要を奉修し、小倉宮教尊王様の御霊をお慰めしました。

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