いつもそばに「念法さん」が
Y・A(女性 東京都) |
ロックから演歌へ、そして念法寺へ
私が初めて金沢念法寺に参拝したのは、今から9年前のことです。
元々、ロックバンドで音楽を楽しんでいた私でしたが、金沢市の企画で「流し」を体験したことをきっかけに、ロックから演歌に転向しました。
そして、演歌の勉強をするために訪れた『歌謡レストラン 幸』で、仏様とのご縁が生まれました。
中学時代から20歳を過ぎるまで、長い反抗期があった私は、両親とはほとんど会話をすることもなく、バンド活動に夢中になっていました。
当然、髪は茶髪、服はロッカーらしく破れたジーンズ・・・。
『歌謡レストラン 幸』を訪れた時もそんな格好だったので、『幸』のママさんも、きっと何かを感じられたのだと思います。
何も言わず、私を念法寺に連れて行ってくれたのです。
理由もわからず涙があふれて
初めて念法寺に行った時のことは、今でもハッキリと覚えています。
仏様のお顔、親先生のお写真を見た瞬間、ワッと涙があふれました。
自分でも理由がわかりません。
それまでの私は「神も仏も、誰も信じられない」と、突っ張って生きてきました。
それが、お参りを終えて外に出た時、世界がまるで変わったように見えたのです。
それ以来、時間の許す限り、お参りをさせていただくようになりました。
富山での大きなチャンス
それからの私は、アルバイトをしながら発声練習に通う日々を送りました。演歌の世界は、私にとってはとても新鮮で、毎日が楽しくてなりませんでした。
そして、レッスンに通い始めて1年ほど経った頃、富山県で開催される大きなカラオケ大会に出場することになりました。
もちろん、大会の前日には金沢念法寺に参拝させていただきました。元々すごくあがり症だった私は、「いつもと変わらず普通に歌えますように」とお願いをしました。
ところが、当日、私は熱を出してしまい、喉にも痛みがありました。
コンディションは良くありませんが、私は「チャンスはそんなにない!」と、思い切って出場し、精一杯の心を込めて歌いました。
優勝できたのは仏様のおかげ
多少反省点がありましたが、結果は、めでたく優勝でした!
熱を出し、喉も痛かったのに優勝できたのですから、仏様のおかげに間違いありません。
その後も、大会があるたびに念法寺に参拝してお願いし、願いが叶ったらお礼に行くことを繰り返しました。
埼玉県でのカラオケ大会優勝、石川県輪島での入賞、どれを考えても、常に仏様がそばにいてくださり、見守ってくださったと感じています。
特に輪島での大会の後、師匠である作曲家・聖川湧先生に「私、東京に行きたいです」とハッキリ言うことができたのは、仏様が背中を押してくださったからだと私は信じています。
仏様がそばに寄って来てくださった!
6年前に上京してからは、一番近かった埼玉県の朝霞念法寺に何度か足を運ばせていただきました。
そして3年後、なんと、師匠・聖川湧先生の事務所がある渋谷2丁目に、東京渋谷念法寺が設立されたのです!
勝手ですが「仏様が私のそばに寄ってきてくださった!」と、そんな風にも思えました。
今、歌手生活5年目に入った私は、いつもステージのそばで「念法さん」が見守ってくださっていると信じています。
(私は、昔から仏様を「念法さん」と心の中で呼んでいるのです)
そう思うだけで心が落ち着き、歌だけに集中できるのです。
「念法さん」に出会えて本当に良かった、と感謝する毎日です。