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道を見つけた奉仕の3ヶ月

D・K(22歳 男性 北海道)

働きもせず好き放題していた私

私は生まれた時から念法にご縁がありました。両親はもちろん、祖父、祖母の代からご縁をいただいていたようです。

しかし私は19歳頃まで、普段は全くお寺に行こうとしないばかりか、仕事もしないで夜も遊びまわり、散々やんちゃをして好き放題に生きていました。

そんな私が唯一、毎年参加していたのが、稚内で行われる「親先生最北端ご巡錫(じゅんしゃく)記念行事」でした。

その年の行事には本山の教務総長先生が参加され、私もお手伝いに行っていました。

教務総長先生のお誘いで本山へ

行事が終わり、皆さんを空港にお送りすることになると、いつもはお見送り役ではないのに、なぜか「K君、行ってこい!」と言われて、お見送りに行くことになりました。

空港で飛行機までに時間があったため、皆さんとコーヒーを飲んでいると、教務総長先生が隣に来て話しかけてくださいました。

「君は何をやっているんだ?」と聞かれたので、「無職です」とお答えすると、「そうか、じゃあ来るか?」とおっしゃるので、「どこにですか?」とお尋ねすると、「大阪の本山に来るか?」とおっしゃるのです。

なんのことかわからずにいる私に、教務総長先生は「とりあえず、8月に荷物をいっぱい持って本山においで」とおっしゃいました。

自分ではピンと来ていなかったのですが、まわりの人は大騒ぎしていました。私は、そのありがたさに気づかないまま、本山に行くことになりました。

大きな喜びを感じて帰ろうとすると

「立教祭」が行われる前日の8月2日、初めて大阪の総本山金剛寺に行きました。

本山では、同世代の人たちが合掌して「おはようございます!よろしくお願いします!ご苦労さまでございます!」と、到着する人たちを迎えていました。

私は勝手に、「みんな私みたいに暗いのかな。きっと辛いんだろうな・・・」と思っていたので、予想外にみんな明るくて元気がいいし、知的な感じだし、「今っぽいじゃん!よし、自分も頑張ってみよう」と、元気づけられた気がしました。

そして、8月7日までの奉仕で、同世代の仲間たちと知り合い、仲良くなることができた私は、大きな喜びを感じ、そのまま北海道へ帰ろうとしていました。

そんな私に教務総長先生は「えっ!帰るの?ダメだよ、2ヶ月もしくは3ヶ月だよ」とおっしゃったのです。

初めてやりたいことが見つかった!

教務総長先生のお言葉に、「帰っても一緒だしなあ」と思った私は、そのまま本山においてもらうことにしました。

そうして、さまざまな行事やその準備を見せていただいて感じたことは、「今まで勉強してこなかったから、自分の思いを正直に、みんながわかるように伝えられない。もっと勉強しておけばよかった」ということでした。

私は初めて「勉強したい、勉強して何かになりたい」と思い、高校生の時に「学校の先生になりたいけど、なれないなあ」と言っていたことを思い出しました。

そして、「ただ勉強するだけではなくて、目標を立てよう。歴史が好きだったから、社会の先生を目指そう」と思ったのです。

こうして、やりたいことが見つかったのも、仲間に出会って前向きな気持ちになれたのも、本山に来たおかげです。「本山っていいなあ。来てよかったなあ」と私は実感しました。

本山に入るかどうか悩む日々

本山での日々を過ごすうちに、教務総長先生は「いつ本山に入るんだ?」とおっしゃるようになりました。

「本山に入る」とは、本山で2年間、修行をするということです。

私は、「せっかくやりたいことが見つかったので、道を外れそうな時に正してもらえるよう、本山の近くの大阪で勉強させていただきたいです」と、自分に都合のいいことを言ってお断りしていました。

私が所属するお寺の住職先生からも「2年くらいいいじゃないか」と声をかけていただいたのですが、私は2年間の修行のあとで出る社会が怖くて、「入るなら一生やります。入らないなら一生入りません」と言ってずっと悩んでいたのです。

仏様のおはからいに気付く

一方、気持ちの変化も感じていました。

本山に来たお年寄りの車椅子を押すことや、私がお世話をした草木を見て喜んでくれる人の顔を見ることが、自分の喜びに変わっていることに気付いたのです。

そして、田舎で好き放題していて突然大阪に来た私に、みんなが良くしてくれるのはなぜだろうと考えました。

すると、祖父母の代から念法にご縁があり、父や母が一生懸命奉仕をしてきたからこそ今の私がある、家族の信心のおかげで、みんなに良くしてもらえるのだと気付いたのです。

「自分は生かされている。仏様が私のことを生かしてくださっているんだ」とわかり、ここまで導いてくださった教務総長先生をはじめ、すべての人が仏様に見えて、すべてが仏様のおはからいだと気付いたのです。

背中を押してくれた母の願い

そこまで気付きながら「でもやめよう」と思った次の日に、母から電話がありました。

普段の母は、私が愚痴を言うと、同調して文句を言ってくれるのですが、この時は突然「ごめん、私が間違っていた」と言うのです。

「何が?」と聞くと、「私が言ってきたことは間違っていた。あんたがまた仏様から遠ざかっていくのを私が勧めるようなことになるのが怖い。あんたが本山を出たら苦しむことになる。それを斡旋した私はきっと地獄に落ちる」とまで言って泣き出しました。

そして「私たちがやりたくてもできなかった多くの人に役立つことを、あんたが本山に入ってやってくれたら、それだけでいつ死んでもいい」と本気で言うのです。

私が「やりたいことを見つけたから、頑張って早く立派になって、結婚して孫の顔を見せたい。それが親孝行だと思う」と言うと、「そんなことより、多くの人の幸せのためにお手伝いさせてもらうあんたを見る方が、私たちはうれしい」と母は言うのです。

決めて良かった!

「それで親孝行になるの?じゃあ入ろう!」と私の気持ちは固まりました。

「本山に入らせていただいて、両親ができなかったことを、今度は私が一歩踏み込んだ世界でさせてもらおう。そうすることで、両親や兄弟、祖父母やご先祖様にも喜んでもらえるだろう」

そんな気持ちをまわりの人に伝えると、みんなが笑顔で喜んでくれて、「決めて良かったな」と、すごくうれしくなりました。

やっとやりたいことを見つけたのに、それを捨てるのは大きな決断でしたが、私はすぐに祈願本堂で仏様にお約束していました。

「私は、皆さんのお役に立てる人になるために、本山で修行する道を選びます」と。