金沢念法寺
石川県金沢市駅西新町1-17-1
電話番号:076-232-2416
城下町の風情が今なお息づく、歴史と伝統文化のまち・金沢
加賀百万石の歴史と伝統文化の薫りが今も漂う城下町・金沢。平成14年の大河ドラマ「利家とまつ」で脚光を浴びた金沢ですが、しっとりと落ち着いた城下町は、多くの人に愛される北陸随一の観光地です。金沢のまちは、1546年に本願寺が布教の拠点として「金沢御堂」を建立したことにはじまります。そののちに、前田利家公がこの地に城を定め、以来、加賀百万石の城下町として発展し、藩政時代には江戸、大坂、京都に次ぐ規模の大都市であったといわれています。城のまわりに形成された武士のまち、活気あふれる商人のまち、城下を守るように配された寺のまちなど、城下町の風情が今もなお残り、日本の文化が美しく息づいています。
開祖親先生の予言から33年の時を経て実現した、金沢念法寺
北陸自動車道を富山に向かって走り、市域に入ると右手に金沢のまち並みが広がってきます。やがて、ビルや住宅街の中に、朱塗り鮮やかな金沢念法寺の外観を目にすることができ、その存在感はひときわ異彩を放ち、人々の注目を集めています。
昭和29年、開祖親先生が東北の山形県酒田市へご親教の帰途、金沢駅に停車した列車の窓から神扇を打ち振られて「将来、この地に念法の大道場が建つ」と予言されたのが、金沢念法寺誕生の第一歩となりました。当時、山代に信仰の拠点ができたことから、山田浩現師が石川県江沼郡の信徒宅に住み、赴任者に護摩作法を伝授するなど、半年に渡って指導されました。それからも山田師は、毎日金沢へ出向いて布教活動を行い、そのあとを樋口良順師が引き継ぎ、布教強化に励んだ結果、金沢に念法の法灯が灯り、次々と広がっていきました。
その後も、金沢において活発な布教教化が進み、信徒が増加する中、金沢にも念法道場をと、強く願う信徒の希望に、二代燈主様がお応えになり、昭和63年4月24日、現在の地にて金沢念法寺が建立され、落慶法要が厳かに執り行われました。親先生の予言から、実に33年の時を経て、金沢の地に念法大道場の実現に至ったのでした。