倉吉念法寺
鳥取県倉吉市福庭367-7
TEL:0858-26-3161
名所・旧跡がいっぱいの風情ある城下町、鳥取県倉吉市
鳥取県倉吉市は、古くから城下町として栄え、風情漂う白壁土蔵群や赤瓦など、歴史とともに培われた文化・芸術が織りなす名所・旧跡の多いロマンチックな街です。また、4つの温泉(はわい・三朝・東郷・関金)に囲まれた倉吉市一帯は、「とっとり梨の花温泉郷」と呼ばれ、古くからの湯治場として多くの観光客が訪れます。
しかし、なんといっても鳥取といえば梨が有名。倉吉市にある世界唯一の梨のミュージアム「なしっこ館」は、親子で遊べる観光スポット。1年中、梨の試食も楽しめます。そんな倉吉市にある倉吉念法寺は、JR山陰本線「倉吉」駅や市街地からもほど近い高台に建っています。
「倉吉、上井、八束」という3つのお寺の歴史を汲んだ倉吉念法寺
倉吉念法寺の歴史は、初代丸山徳現師をおいては語ることができないでしょう。 念法の仏さまにご縁をいただくまでは、大変な苦難の連続であった徳現師が、昭和24年9月23日、開祖親先生が岡山県八束村でのご親教の折りに、親先生のお慈悲に目覚められ入信。「仏さまの救いの道を多くの人に伝えることが、運命立て替えの道」と決心され、昭和26年に岡山県から山を越えて鳥取県倉吉の地で布教をはじめられました。
昭和26年9月、親先生は大阪から夜汽車で鳥取県羽合町(当時)の信徒宅へご親教になりました。これが鳥取での初親教となりました。この時、徳現師は親先生にお目にかかりたい一心で、岡山県八束からご親教に駆け付け、そこで出家を決意されます。その後も、倉吉を初めとした鳥取県や山陰地方の布教開拓に一層、邁進されました。 そして、昭和27年6月4日に上井念法寺が、同年8月18日に倉吉念法寺が誕生し、徳現師が倉吉念法寺の初代住職に就かれました。
その頃、親先生は年に3、4回も倉吉にご親教になり、その都度多くの人々が救われ、法灯は鳥取県中部一円に広がっていきます。そして、昭和28年に上井念法寺は上井柳町に、昭和29年に倉吉念法寺は東町に道場が発足しました。 それからも信徒が増加し、昭和47年、「両念法寺が合併して大きなお寺を建てるように」との親先生のお言葉に従って、昭和51年秋に福庭の土地を手に入れ、ついに昭和63年、二代燈主様により、現在の新道場が建立されるに至りました。 その後、倉吉念法寺の親教会であり、徳現師入信の地である八束念法教会の老朽化に伴い、平成17年3月20日、倉吉念法寺と合併され、現在に至っています。
近隣からも愛され、地域になくてはならないお寺として
平成28年10月21日、M6.6の鳥取中部地震の際に地域の給食センターが被災しました。給食調理ができなくなり、震災から数日間の給食はパンと牛乳のみという事態になったのです。「何か温かい食べ物を」と校区のPTAの皆さんと協力して、信徒の皆さんがおにぎり1,800個を手際よく作り、校区の子どもたちにお届けし、大変喜ばれました。 また、倉吉念法寺の敷地は約6,000坪と広く、高台にあるため、地域の防災避難所として認定されており、毎年お寺で地元小学校の避難訓練も行われています。子どもたちの学校の社会学習の場所に倉吉念法寺が選ばれたり、お寺の本堂を地元のヨガ教室に使っていただいたりと、近隣から愛され、地域になくてはならないお寺として、今も交流を重ねています。