萩念法寺
山口県萩市大字椿東無田ケ原口2
TEL:0838-22-9788
まるで、まちじゅうが屋根のない博物館、山口県萩市
萩市といえば、城下町の古い町並みや萩焼、そして吉田松陰や高杉晋作などの維新の原動力となった勤皇の志士たちを思い浮かべることでしょう。萩は、慶長9年に開府して以来、およそ260年に渡って毛利36万石の城下町として発展しました。天災や戦災を免れたため、当時の町割りや建物、道などのたたずまいが今なお変わることなく継承されており、「古地図で歩ける町」といわれています。まるで、まちじゅうが屋根のない博物館のような萩の町には、毎年 全国から大勢の観光客が訪れます。
ご親教のたびに信徒の数が増え続ける
この萩の地に念法の種が蒔かれたのは、昭和45年頃、香住念法寺の信徒が本山で禊(みそぎ)奉仕に努めた折り、親先生から、生まれ故郷の萩に帰って、悩み苦しんでいる人々に念法の教えを伝えるよう、お言葉を賜り、感激して導きに奔走したのがはじまりです。
その信徒の活躍ぶりをお聞きになった親先生は、「よし、萩に行ってやろう」とおっしゃって、昭和48年10月18日から3日間、萩の信徒宅で初親教が行われました。そして、昭和49年9月9日には萩市内の前小畑に布教所が誕生。翌月には親先生が再度ご親教になり、前回にも増して大勢の参拝者で布教所はあふれかえりました。その後、親先生は昭和52年までの間に計5回、萩に訪れられ、親先生のご法話は大人気。ご親教のたびに信徒の数は増え続けました。 「もっと広い道場を」との信徒の願いに、二代燈主様がお応えになり、昭和62年7月、現在の地に萩念法寺が建立され、現在に至っています。
萩のお寺に込めた親先生の想いを、受け継ぐ
幕末の日本を大きく動かす歴史舞台となった長州・萩。親先生は、この地にお寺を建てることに格別の想いがありました。「長州・萩という土地は、明治維新という新しい日本をつくりあげた素晴らしい人材を輩出してきた土地である。この萩の人たちに念法の教えを知ってもらい、戦後日本の精神的建て直しに活躍する人を育てて欲しい」、親先生はご親教のたびにそう訴えられました。
初代の布教所長である小林良賢師をはじめ、歴代の住職たちは、そんな親先生の想いを受け継ぎ、住みよい世の中づくり、念法の仲間づくりに邁進してこれれました。 「日本の近代化をもたらした原動力の地であり、日本の立て直しはこの萩から」。萩念法寺の信徒は、そんな気概をもって教え実践に努めています。