長崎念法寺
〒850-0042
長崎県長崎市御船蔵町4-14
電話番号:095-822-2110
外国との交流の歴史を築いてきた長崎
鎖国時代には海外の玄関口だった長崎は、異国情緒あふれる観光地です。グラバー園やオランダ坂、新地中華街など、長崎は「和華蘭(わからん)文化」ともいわれ、西洋と東洋の文化が入り交じるエキゾチックな顔をもち、全国から多くの観光客が訪れます。長崎念法寺の窓からも、日本二十六聖人殉教地の建物が見え、市街の中心地にお寺が建っているという恵まれた場所に位置しています。
親先生のご意志を二代燈主様が受け継がれた長崎念法寺
開祖親先生は、来て欲しいとの要望があれば、遠い近いにかかわらずその地へ出向かれては、集まった人々に念法の教えを説かれましたが、この長崎の地もそのひとつです。昭和29年、九州各地をご親教されていた親先生が長崎県平戸へもお立ち寄りになり、3日間ご親教をされました。昭和57年には、長崎市内のホテルを会場に二代燈主様を囲む会が行われ、その後も毎年のように二代燈主様は長崎に足を運ばれて、囲む会が催されました。
長崎は、広島と並ぶ被爆地であり、多くの犠牲者の御霊を弔い、平和への祈りを捧げる意味からも、ここ長崎の地に念法の道場を築くことは、親先生の強い願いでもありました。そうしたご意志を二代燈主様が引き継がれ、昭和63年には長崎市内の住宅を改築して、念願の長崎念法教会が誕生しました。そして、平成17年に、現在の地に移転。念法のお寺としては歴史は浅い長崎念法寺ですが、教えがしっかりと根付いています。
毎年7月には、長崎原爆殉難者慰霊法要を勤修
昭和20年8月9日11時2分。長崎の空が白く輝き、時計の針が止まりました。長崎に投下された原子爆弾により、長崎の街は一瞬にして壊滅し、多くの尊い命が奪われました。教団では、毎年7月に長崎原爆殉難者慰霊法要を行い、九州各地から信徒をはじめとした関係者300人以上が法要に参列し、追悼の意を捧げています。
長崎原爆殉難者慰霊法要の第1回目は、広島念法寺や小倉念法寺の信徒の皆さん方のサポートを受けながら実施しましたが、翌年からは「被爆地の使命として、長崎の私たちの手でお世話させていただこう」との思いから、多くの方々の支えを受けながら、長崎念法寺が主体となって実施しています。