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何にでも感謝できる心

H・M(26歳 男性 愛知県)

なぜ私ばかり、と不満な日々

私はこれまで、嫌なことがあるとすぐに不満に思い、順調であることが当たり前だと感じて過ごしてきたので、心からものごとに感謝するということができませんでした。

自動車工場に勤めて8年。まわりの人がどんどん仕事を覚えていく中、私は毎日同じ工程作業の繰り返しで、「自分はこれでいいのか」と焦り、なかなか他の仕事をさせてもらえないことを不満に思っていました。

毎日イライラし、上司が嫌になって、口を利かなくなっていました。

そうしているうちに新しい職場に異動になり、やるぞ!と意気込んだのも束の間でした。そこの上司や先輩が気難しく、それまで注意されなかったちょっとしたミスでも、すぐに叱られるのです。しかも、叱られるのは私ばかり・・・。

とうとう私は、叱言(こごと)ばかり言われるストレスで体調を崩すようになってしまいました。

目に留まった法語集の言葉

そんな時に、「悩んだ時や苦しい時には『念法法語集』を開きなさい」と教えていただいたことを、ふと思い出しました。

ページをめくっていくと、『叱られて喜ぶ』という項目が目に留まりました。

叱られるものには、大きい喜びがある。

叱言の言いやすいひとは、しあわせなのだ。頼みもしないのに、あっちからも、こっちからも悪いところを教えてもらい、気づかせてもらうのだから、ありがたいではないか。

(中略)

いつもひとの言うことには感謝し、なにごとも喜んで受けるように努めれば、誰でも叱言を聞かせてくださる。

叱言を言ってもらえるひとは、しあわせなのである。

「確かにそうだけど」とは思ったものの、叱られてばかりで落ち込んでいた私は、素直に受け入れることができませんでした。

初めて知った先輩の真意

ある日、職場でまた先輩に叱られていた私が嫌そうな顔をしたその時でした。

先輩が私の顔をじっと見て、「お前は『またあいつか』と言われて仕事がしたいのか。叱ってもらえるうちが花だぞ」と言ったのです。

思いがけない言葉を聞いてハッとした私に、先輩は「お前に厳しくしているのは、不良品を流して、元の工程に戻っていくような目に遭わせるのが嫌だったからだ」と真意を話してくれました。

今の工程は、天井式クレーンでエンジンを設備に移載して、エンジンの回転バランスを修正する工程です。

それまで、ただ口うるさいだけだと思っていた上司や先輩が、私が天井式クレーンからエンジンを落下させたり、不良品を流したりしないように、いろいろと気遣ってくれていたのです。

『叱られて喜ぶ』自分になれた

「そうか。これが『叱られて喜ぶ』ということなんだな」と、私は気が付きました。

耳に痛いことでも、ありがたいと感謝できることがわかった瞬間でした。

そして、私はマイナス思考で心が狭く、受け取り方が下手だということ、まわりの人に恵まれているのに全く感謝していないことに気付きました。

「感謝する」とは、何事も上手に受け取り、当たり前という心を捨てて、何にでも感謝することなのだとわかったのです。

おかげでその後は、指導は厳しいながらも、いろいろな工程を覚えさせてもらったり、新入社員のフォローなども任せてもらえるようになりました。

この経験を活かして、少しでも多く感謝できる自分になり、まわりの人のお役に立てるよう、頑張っていきたいと思います。