どんなことにも喜べる自分に
S・R(23歳 女性 兵庫県) |
社会を甘く見ていた私
私は、この4月から社会人として歯科医院で働いています。
社会に出る前は、「働き出したら、きっと学生時代に学んだことが活かされ、社会で輝けるはず」「お金をいっぱい稼いで、パラダイスな毎日を送るんだろうな」と思い描いていましたが、現実はそう甘くはありませんでした。
私は社会を甘く見ていたのです。
それまで、どこに行っても「Rちゃん」と呼ばれていた私は、職場でも「Rちゃん」と呼んでもらえて、先輩方にも恵まれて最高な毎日でした。
ベテランの先輩に「Rちゃんの良いところはね、誰に対しても気持ちよくニッコリ笑顔であいさつができて、返事もしっかりできるところ」と褒めていただき、とても嬉しくて、毎日仕事に行くのが楽しくて仕方がありませんでした。
失敗を繰り返し、胃が痛い日々
ところが、1ヶ月を過ぎた頃から、「いい加減に覚えてもらわないと困る!」「何回言ったらわかるの!」「患者さんに対してぎこちない!」などと注意を受けることが多くなりました。
その時は「私のためを思って言ってくれているのだ」と思い、受け入れることができたのですが、日々できないことが増え、失敗を繰り返し、1日に何回も叱られているうちに、「自分は一体今まで何を勉強してきたんだ」と自分を責めることもありました。
そんなふうに、起こったことを上手く受け入れられずに悩む日々が続いていた矢先、私がミスをしたことで、普段とても温厚な先輩に強く怒鳴られたのです。
怒鳴られた瞬間、今まで悩んでいたこと、我慢していたことが一気に噴き出しそうになりました。
そして、その日から胃が痛くなり、仕事に行っても、失敗するのが怖い、叱られるのが怖い、と思うようになってしまいました。
念法バッジを強く握りしめて
そんな毎日でしたが、仏様にお願いをする心は忘れませんでした。
仕事中、白衣の下に付けた念法バッジを強く握りしめ、「まわりの全ての人が、私を菩薩にするために鍛えてくださっている」と受け止めて、心の中で念法のご眞言を称えるようになりました。
仏様はいつもそばにいてくださる、と分かっていても、念法バッジを付けると、仏様をもっと近くに感じられて、安心感でいっぱいになるのです。
そして、ご祈願させてもらおうと思い、「あいさつ、笑顔、返事」「5つの言葉を使わせていただきます」「どんなことを言われても、ありがとうと言える私になります」とお誓いし、「どうか職場が明るくなりますように。私がいることによって、まわりの方に楽しいな、幸せだな、と思ってもらえますように」と願いを込めました。
私自信がまわりを明るく照らす『ともしび』になるように努めることが、親先生の教えを体全体で実践することになると思ったからです。
気付きによって自分も職場も明るく
すると、その瞬間に、体中からフッと何かが抜けるような感じがして、気持ちが楽になりました。
それまで、あいさつにしろ、笑顔や返事にしろ、人から褒めてもらえることが多く、「自分はできている!」と思い込んでいましたが、実際には、ちゃんとできていなかったのかもしれません。
そう気付くと、私の中に「相手の目を見てあいさつさせてください」と仏様にお願いする心が住み着くようになりました。
そして、教えを少しずつ身に付けていくことや、体で実践して乗り越えていくことが、働きやすい職場、住みよい世の中づくりのお手伝いであることが、分かってきました。
こうしたことに気付いてから、失敗ばかりしていたこと、暗い受け取り方しかできなかったことが、嘘のようになくなって、職場も以前より明るくなりました。
働くとは『はたを抱きかかえる』こと
社会人として3ヶ月が経ち、最初に比べれば何事もすんなりできるようになりましたが、たくさん仕事ができるようになったことを喜べていない自分がいることに気付きました。
そして、毎日どんなことでも「喜ぼう」と意識して仏様に感謝の気持ちを持つと、自然と喜べる自分に出会えることも分かりました。
「『働く』とは『はた抱く』、『はた(そばにいる人)を抱きかかえる』ということ。単に我がため、我が欲のために働くのではない」ということを、仏様に教えていただくことができ、感謝の気持ちでいっぱいです。