念法眞教とは 開祖 小倉霊現 念法眞教 開祖小倉霊現についてご紹介します。

誕生

念法眞教 開祖 小倉霊現(私達は親先生と申し上げています)は、明治19年9月9日めでたい重陽の節句の日に大阪府東成郡鯰江村字今福(現在の大阪市城東区今福)で誕生し、名前は庄太郎(しょうたろう)と命名されました。ご誕生のとき既に父は病気で亡くなっており、そこで、庄太郎は『仏の治郎兵衛』と村人から言われていた信望篤き祖父によって育てられました。祖父治郎兵衛は庄太郎によく「春はただ、青一色と思えども、秋は色々花は咲くなり」の詩を教え、将来多くの人のために尽くすことができる立派な人になるように諭したのです。祖父母の掌中の珠として養育された庄太郎は心身共に大きく成長しました。しかし世の中は厳しく、家庭の事情、お母さんを助けたい一心で尋常小学校(現在の小学校)を4年で中退し、数え11歳で奉公に出ることになりました。やがて祖父母、母とも死別し天涯孤独の身となった庄太郎は、日々人生の荒波の中で苦労の連続でしたが、たくましく立派に成長していきました。


▲ 身ぶり手ぶりでお話される親先生

霊告

どんなに辛い苦しい状況の中にあっても、人の心を失わず、他人を苦しめたり騙したりすることなく、困っている人を見れば助けずにはおれないという本然の性をもって、聡明叡智な生き方を貫かれました。そして、庄太郎40歳のときのことです。大正14年8月2日、灼熱の太陽は地平線に赫々たる姿を映しながら沈んでいきました。やがて夜は深々と更けて8月3日午前2時頃のことでした。久遠実成の阿弥陀如来(念法ご本尊様)が、開祖親先生(庄太郎)に霊夢をもって『信仰の立て直し、世の立て替え』をお示しになり、その御霊示をもとに「念法眞教」が立教開宗されました。それから開祖親先生は一身一家を犠牲とし、全国各地に神仏の存在とお救いを弘め伝える旅(ご親教という)をされ、97歳のご入寂まで「住みよい世の中づくり」のために尽くされたのです。名前も、ご本尊様の呼びかけどおり「霊現」に改め、小倉霊現となられました。

ご親教

開祖親先生の40歳から97歳までの57年間は、この世から「争いの苦しみ」「病の苦しみ」「貧しさの苦しみ」「不道徳な行いによる苦しみ」をなくするため、一年の大半を、北は北海道稚内から南は沖縄まで、全国各地を巡ってご親教され、人々の悩みや苦しみの相談にのって、救いの道をお示しになりました。「ご親教」では、目前に表れる不思議に、人々はご本尊様の応現(神仏の存在)を確信し、教えの実践を誓って住みよい世づくりの仲間(入信)になり、信徒が増え、全国に念法寺・念法教会が誕生し、念法眞教の教線も全国各地に拡大していきました。

開祖親先生は、「一粒の米、一滴の醤油も無駄にしないように」と自ら質素倹約の範を示され、すべてのものに尊い命があることや自然の恵みに感謝することの大切さを説かれたり、戦闘帽をかぶって(注写真)戦時中、物がなく苦しかった時代(とき)のことを忘れないことや、再び戦争の起きない世の中にしていかなくてはならないという平和を願う心を、先頭に立って説き続けられました。

開祖親先生の「国を思い世を憂うる真実心」、そして「人を救い正しい人の道」を説かれる至誠、至高な精神は生涯変わることなく、全信徒が寄せる敬慕の念は尽きることなく、「親先生」と慕われたご生涯でした。

▲ 親先生のすぐ間近でお諭しを聴く